Tivolis fødselsdag
チボリ誕生日
8月15日は、デンマークを代表する文化施設チボリの『誕生日』です。
日本語では「開園記念日」と呼ぶ方がしっくりするかと思いますが、デンマークでは『誕生日』と呼ばれており、実際の開園を記念する祝賀イベントも一般的な誕生日の祝い方に準じているため、ここでは『誕生日』と表記します。
チボリという名前は、太陽と美しい庭園に彩られたイタリア・ナポリ近郊の名勝地チボリに由来します。19世紀のヨーロッパの大都市に芸術性の高い催しが繰り広げられる美しい有料庭園が出現し、どの都市でも『チボリ』と総称していたそうです。『チボリ』という単語が「優美で文化的な有料庭園」という意味を持っていたのですね。
今年、179歳の誕生日を迎えたチボリは、文化人ゲオ・カーステンセン氏によって斬新な文化施設として創設されました。コスモポリタンとしてヨーロッパ文化を各地で見聞していたカーステンセン氏は、当時27歳。パリなどでもチボリと呼ばれていた美しい庭園とエンターテイメントを併せ持つ有料庭園にインスピレーションを受け、彼独自のエスプリを織り交ぜて、1843年にデンマークの首都コペンハーゲンにチボリを創設しました。
チボリは時代の申し子です。デンマークでの民主主義の礎を築き、啓蒙教育の父として民間に大きな影響を及ぼした牧師、作家、詩人、哲学者、教育者、政治家のグルントヴィが活躍した時代は、童話作家アンデルセンの作品がヨーロッパ全土で高く評価され、哲学者キルケゴールが哲学史に名を刻み、ベルテル・トルバルセンの彫刻作品がヨーロッパの芸術に大きな影響を与えた『デンマーク黄金時代』でした。そのような文化的な躍動を背景にチボリが誕生したのです。
チボリは19世紀の優雅なエンターテイメント文化や庭園文化を色濃く留める世界で唯一無二の文化施設であるばかりではなく、文化の先駆け的な存在として創設当初から今日まで揺るぎない地位を築いているという点で、遊園地やアミューズメントパークの枠を超えた、世界でも稀な文化スポットなのです。
他の都市では上流階級に限られていた有料庭園と一線を画し、老若男女あらゆる階層の人々に向けた文化施設というコンセプトは、当時、すべての人々を対象とした教育を啓蒙していたグルントヴィの思想と重なるように思えます。
チボリの開園当時、最も大きな注目を集めたものは、流行最先端のジェットコースターでも回転木馬でもなく音楽家が演奏する音楽でした。音楽研究家ヘンリック・エンゲルブレット氏が著書で「世界で唯一、交響楽団を所有する民間企業」と記述しているのですが、チボリは1843年の創設当初から自らの音楽団とコンサートホールを持ち続けてきたことに特徴があります。音楽配信はもちろん、ラジオもレコードも存在しなかった時代、音楽家による生演奏の魅力は、すばらしいエンターテイメントとして、現在の私たちからは想像がつかないほどの意義があったに違いありません。チボリは美しい庭園やイルミネーション、花火などで独自の芸術性を築いていますが、音楽芸術もチボリの魅力の根幹なのです。
デンマークの作曲家ハンス・クリスチャン・ロンビは、1843年の開園当初から生涯にわたってチボリで音楽監督を務めました。自ら率いる楽団でウィーン到来の最新音楽だったワルツやポルカ、マーチを演奏したばかりではなく、800曲以上の作品を書き遺し、人々はその音楽に酔いしれました。1843年発祥のロンビ音楽団は、今日、『チボリ・コペンハーゲンフィル』という名で幅広く活躍しています。
チボリが所有するもう一つの音楽団は、チボリ創設二年目の祝賀記念として誕生した世界最古の少年少女音楽隊『チボリガード』です。創設当初、正門や園内で衛兵として立つ役割を担っていましたが、デンマークで最高水準を誇る音楽学校として定評があります。現在、8歳から16歳の子ども93名が、鼓笛隊・鉄砲隊・吹奏楽隊のいずれかに所属して音楽教育を受ける傍らで、週末に園内でパレードを行う他、デンマーク文化を象徴するアンバサダーとして、国内外の祝祭での公演を行っています。
チボリガードの正装は、デンマーク王室近衛兵をお手本にした制服です。去年150周年を迎えた由緒ある制服は、デンマークでの祝賀を表しています。本物の熊の毛で一つ一つ手作りされた帽子や布を染めるところから別注で仕立てる赤いジャケットには美しい装飾が施されています。
デンマークでは国旗が祝賀を意味し、デンマーク人としての誇りと喜びを表しているとも言われます。誕生日にはたくさんの国旗を飾る慣わしがあり、お祝い感を高めます。朝、昼、3時、夜、それぞれにお祝いの定番スタイルがあったり、誕生日を迎えた人が職場や学校にお祝いのお菓子を持参し、同僚やクラスメートと誕生日を祝う習慣もあります。いずれも国旗を飾るのが不文律です。
チボリの『誕生日』でも、チボリ経営のパティスリー『Cakenhagen』(ケーケンハーゲン)が用意したクリームキスと呼ばれる一口菓子が、1000名の来園者に配られました。
『誕生日』の伝統的で華やかなイベントは、チボリガードによる街頭祝賀パレードです。今年の8月15日は気温が30℃近くまで上がったため、定番の熊の毛でできた帽子も上等な赤いジャケットも着用できず、夏服でのパレードとなりました。王立劇場から市庁舎広場までの『ストロイエ』と呼ばれる歩行者道路、そして市庁舎広場から「チボリ」までの車道を警察誘導の元、総勢93名が華やかな行進曲を演奏しながら30分のパレードを行います。チボリ・パントマイム劇場の名脇役ピエロを先頭に、鼓手長が1894年から大切に継承されている指揮杖で、吹奏楽隊、鼓笛隊、鉄砲隊の3部隊93名を先導します。鼓笛隊と鉄砲隊の間には、パントマイム劇場の主役コロンビーナとハーレキンも続きます。街頭にはパレードを楽しむ人で溢れかえり『誕生日』の喜びを共有します。1890年築の立派な煉瓦造りのチボリ正門を通り抜けるときに演奏する曲はクリフ・リチャードの「コングラッチュレーションズ」。明るく華やかな曲が園内に続く並木路に鳴り響きます。
『誕生日』は、チボリガードのメンバーにとって特別な意味があります。今季16歳で卒団するメンバーを対象にした記章授与式が行われ、継続メンバーには10月からスタートする来季の席次が発表されるのです。チボリガードでは、一年ほど基礎練習を積んだ8歳以上の子どもが制服デビューできるのですが、多くの子どもにとっては16歳の引退時には人生の半分をチボリガードとして過ごしたことになります。引退は高校進学と重なることが多いため、ちょうどよい節目ですが、同世代の子どもが好きなことをして楽しんでいる放課後や週末に、ずっと練習や公演を重ねてきたのですから、引退は経験してきたものでないとわからない大きな意味合いを持っていると言われています。そして、来季継続するメンバーの新しいポジションには多くの物語が潜んでいるのです。
記章授与式で渡された記章を胸につけて8月15日にチボリに出かけると、功労者として入園が無料になるという特典があります。実際、この日にはチボリ園内に記章をつけたチボリガードOBが大勢集まります。100歳に近い男性がスーツ姿で記章授与式を見学していたり、かつて一緒に演奏したメンバーの卒団を祝福したり、微笑ましい光景があちこちで繰り広げられます。
チボリ・コンサートホールで開かれる記念コンサートも『誕生日』の定例イベントです。現在のチボリ・コンサートホールは、1956年に建てられた三代目のホールですが、手入れの行き届いた美しい庭園、お伽の国から抜け出したような空中ブランコなどに彩られ、独特の存在感を放っています。ホール前の庭園には前述の作曲家ロンビの彫像があり、ホールのバルコニーには、ロンビの代表作『シャンパン・ギャロップ』の楽譜が意匠されています。『シャンパン・ギャロップ』には、シャンパンを抜く音が散りばめられてあり、『誕生日』コンサートの最後に演奏される曲となっています。
コンサートの後には、コンサートホールの屋上から空に放たれる盛大な打ち上げ花火が続きます。『誕生日』を祝う大きな花火でコペンハーゲン市民と開園記念の喜びを共有し『誕生日』の幕が閉じるのです。
註 1)デンマークは、国を戦火から守り、流血を防ぐために、1940年に第二次世界大戦中で最も迅速な完全降伏を行っています。デンマーク本土がドイツから解放された日は、1945年5月5日。デンマークの人々にとっては、この日が終戦を意味し、解放記念日として扱われています。前夜に各家庭で灯火管制時には点せなかった蝋燭を窓辺に灯す習慣も、今日まで引き継がれています。
註 2)Cakenhagenは、ケーキとコペンハーゲンを組み合わせた造語です。
註 3)クリームキスは、ふわっとした食感のメレンゲクリームに濃厚なチョコレートが上掛けされたデンマーク独自のお菓子です。
文: くらもとさちこ
写真撮影: Jan Oster