デンマークの暮らしとヒュッゲ
チボリのおはなし
2021年1月
近年、国際的に注目された概念「ヒュッゲ」は、デンマークで頻繁に耳にする言葉です。心が温まる気持ちやここちよさを表す言葉ですが、その概念の奥行きは深く、使い方も多様です。興味深いのは、「ヒュッゲ」というメガネを通すと、どこにでもある小さな喜びが大きく膨らんで、その温かさが心や身体の隅々に行き渡り、お風呂にゆっくり入った後のようなくつろぎを得られることではないかと思います。
昨年一年に渡って、四季折々の暮らしの中で感じるデンマークの「ヒュッゲ」をお伝えしましたが、今年は、デンマークを代表する文化施設として人々の心に深く根づいている「チボリ」に焦点をあてて、デンマークのヒュッゲを違った角度でお伝えしたいと思います。
「ヒュッゲ」と「チボリ」、 デンマークの人々にとって、この二つの関係は、磁石と砂鉄のような強い結びつきを持っています。「チボリ」は、デンマークの誰もが知っていると言われるほど知名度の高く、180年近くもの間、「ヒュッゲ」を独自の形で体現している文化施設です。家族や親族一同が揃い「チボリ」で美しい夏の一日を楽しむ慣習は、世代を重ねて受け継がれており、国民の大半が「チボリ」に温かく特別な思いを抱いています。
「チボリ」は、デンマーク語では「Tivoli」、英語では「Tivoli Garden」という名称で、翻訳すると「チボリ」、「チボリ庭園」になります。日本語では「チボリ公園」と紹介されていることが一般的ですが、日本語での「公園」は、公衆の利用を前提とし、遊戯施設や休憩施設などが配置された空間という意味合いが強いですね。「チボリ」は一般企業として存在し、上質のくつろぎを提供する有料の文化施設なので、この連載では原語(デンマーク語)に倣って「チボリ」という表記でお伝えしたいと思います。
チボリは、1843年8月15日、デンマークの文化人ゲオ・カーステンセン氏によって創設されました。コスモポリタンで、さまざまなヨーロッパ文化を見聞していた彼は、当時27歳で、パリをはじめとする大都市の上流階級に好まれていた美しい庭園とエンターテイメントを併せ持つ有料施設にインスピレーションを受け、彼独自のエスプリを織り交ぜて、首都コペンハーゲンにチボリを創設しました。チボリは、元々、美しい庭園に彩られ太陽に恵まれたイタリア・ナポリ近郊の名勝地チボリに由来しますが、創設当時は、芸術性の高い催しが繰り広げられる美しい有料庭園を意味するヨーロッパ共通の総称だったそうです。
歴史的に見ると、チボリの誕生は、デンマークの国民意識に大きな影響を及ぼしてきた牧師、作家、詩人、哲学者、教育者、政治家のグルントヴィが活躍した時期であり、「デンマーク黄金時代」と呼ばれる文化的な分野で隆盛を極めた時期に重なっています。グルントヴィが新しい民族意識の啓蒙に奔走し、童話作家アンデルセンの作品がヨーロッパ全土で評価され、哲学者キルケゴールが哲学史に影響を与え、ベルテル・トルバルセンの彫刻作品がヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えた時代の申し子がチボリだったと言えるでしょう。
1843年の創設時、チボリは城壁に囲まれたコペンハーゲン旧市街の水堀の外に位置していましたが、その後、城壁が取り壊された段階で、当時の水堀を庭園の設計に組み入れました。そして、街は徐々に拡大し、現在はコペンハーゲン市庁舎とコペンハーゲン中央駅の間に位置するという抜群の立地となっています。チボリは「遊園地」と紹介されることが多いですし、現在のアミューズメントパークの母体でもあるのですが、1800年代の優雅なアミューズメント文化や庭園文化を色濃く留めながら存続している点、創設当初から今まで、文化の先駆け的な存在として揺るぎない地位を築いているという点で、「遊園地」や「アミューズメントパーク」の枠を超えた世界でも稀に見る「文化施設」だと評価されています。
現在、チボリは年3回の開園時期を設けていますが、1994年までの150年間、美しい花が咲き誇る庭園が楽しめる4月から9月に限って開園していました。1843年8月15日に晴々しく幕開けしたチボリは7週間のみの開園でしたが、コペンハーゲン市民のみならず、近郊の老若男女が、貴賤の別なく、斬新なエンターテイメントを求めて駆けつけ、7週間で175.000枚の入場券が飛ぶよう売れ、コペンハーゲンにある劇場やコンサートホールでは閑古鳥が鳴いたという記録が残っています。また、当時の労働者の給金1日分の1/3に相当する入場料が払えない人々のために「見晴らし台」が隣接され、ここで楽しむ人々も後を絶えなかったと言われています。ゲオ・カーステンセン氏が『万民が楽しめるチボリ』と表現したとおり、チボリはあらゆる人々が楽しめる施設として出発し、それは今も引き継がれているのです。
チボリの開園当時、最も大きな注目を集めたものは、流行最先端のジェットコースターでも回転木馬でもなく、音楽だったと言われています。テレビもラジオも存在しない時代、音楽家による生の音楽演奏は、すばらしいエンターテイメントとして、現在に生きる私たちからは想像できない深い意義があったに違いありません。チボリは世界中で作曲された最先端の音楽を聴くことができる稀有な施設だったのです。庭園内では、交響楽団、サーカス、パントマイム、ダンスなど多様な音楽を楽しむことができ、一日に100人を超える音楽家が演奏を行なっていたと言われています。チボリは、美しい庭園やイルミネーション、花火などでも独自の芸術性を築いていますが、音楽がチボリの魅力の根幹を成している点はとても興味深いと思います。
さまざまな形で創設当時からの伝統を今も色濃く残しているチボリですが、お抱えの子ども衛兵「チボリガード」も今年で177年を迎えます。ゲオ・カーステンセン氏の考案により、チボリ創立2年目の祝賀記念として創設された子ども衛兵「チボリガード」は、チボリの正門や園内の建物に衛兵として立つ役割から、太鼓と金管楽器で構成された子ども音楽隊として活躍するようになり、1928年には木管楽器が加わって吹奏楽隊が設立され、デンマークを代表するジュニア音楽隊に成長しました。現在、8歳から16歳の子ども100名近くが、鼓笛隊・鉄砲隊・吹奏楽隊の3部隊のいずれかに所属し、デンマーク王国近衛兵の祝賀装束に倣った愛らしい衣装に身を包み、チボリを象徴する存在としてだけではなく、デンマーク文化を象徴するアンバサダーとして、デンマークの国内外で広く活躍しています。
今年の連載では、毎月、チボリをスポット別にご紹介したいと思います。今月のスポットは、観光名所の看板ともなっている正門です。現存の正門は1890年に建てられました。歴史を感じる華やかな正門から園内に続く並木路は、デンマークを代表する照明デザイナー、ポール・ヘニングセン氏の意匠による美しい照明に飾られています。ジュニア音楽隊チボリガードによる音楽パレードは、4月から9月まで土曜日と日曜日に1日2回行われる定例行事ですが、正門の内外とそれに続く並木路での行進はチボリらしい華やかさを感じます。
今年の連載では、文章だけでなく音楽でもチボリをご案内する趣向です。 今月は、行進曲「祝賀装束のチボリガード」をご紹介します。下記リンクをクリックすると、チボリガードによる演奏がお楽しみいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=pq_95a6ujjM&feature=emb_title
この曲は、1965年から1973年までチボリガード音楽監督を務めていたダン・グレーセル氏がチボリガードのために作曲した作品です。1000曲以上のレパートリーを持つチボリガードの楽曲には行進曲が数百曲もあるのですが、この曲の人気はたいへん高く、毎年、必ず演奏されています。デンマーク王立近衛兵の伝統的な祝賀装束に倣った制服をまとったチボリガードの姿を思い浮かべながら、美しいチボリの雰囲気を音楽でもお楽しみいただければ嬉しく思います。
*この記事は、2021年1月に株式会社チャレンジドジャパンの公式サイトに掲載された内容を2025年1月に、一部、加筆修正しています。
チボリ・マップ © Tivoli
赤で今月のスポットの位置を示しています。
「ゲオ・カーステンセン」チボリ所蔵 Georg Carstensen © Tivoli
「チボリ正門」コペンハーゲン市博物館所蔵
Tivoli, Hovedindgang, Københavns Museum, 1890 – 1899.